サンカクシャ

スタッフダイアリー

2024.07.29

プライマル。

新型コロナウイルスが猛威をふるっていた数年の間、私はとある研究所で働いていた。

 というと、あたかも公衆衛生やワクチンの研究に携わっていたかのように思われるかもしれないが、それは早合点というものだ。

 文系大学に設置された、平和学(そういう学問があります)を研究する機関でのアルバイトである。

 私はそこで、所属する教員や学生と世間話に興じたり、ときどき趣味でコーヒーを淹れたりしながらダラダラと禄を食んでいた。コロナ禍にありながら、今思い返してもまったくいい身分であった。

△△△

 3月のある日、顔馴染みの学生が研究所を訪ねてきた。学生生活の大半をコロナ禍で過ごした彼女は、この日卒業式を迎え、その足でわざわざ挨拶にきてくれたのだった。

 いろいろ大変だったと思うけど……と私がいくばくかの同情を込めた祝辞を述べようとすると、それを遮って晴れ着の彼女は高らかに言い放った。

「かわいそうって言われるの、もう飽きた!」

 マスク越しでもハッキリとわかるその笑顔に、私は胸を打たれた。

 おそらくこの日、親兄弟や親戚など彼女の周囲の大人たちは、彼女に哀れみを込めた「やさしい」言葉をかけたのだろう(私がそうしようとしたように!)。

 せっかくの青春時代だったのにね、かわいそうに──。

 しかし、どんな災厄に見舞われようと、青春の輝きはそう容易く曇ったりはしないのだ。

 自室でダラけながら受講するオンライン授業、初めてオフラインで会ったゼミ仲間の意外な素顔、友人と密かに決行した飲み会、前例のない就職活動の試行錯誤、晴れ着にマッチするマスク選び……きっと大人たちが勝手に決めつけた「青春」に収まりきらないオリジナルな輝きが彼女の学生生活にはあった。

 それらを「かわいそう」だと総括する権利など誰にもないのである。

 深く反省した私は非礼を詫び、ひと言、改めてベタな祝辞を彼女に贈った。「卒業おめでとう」。

△△△

 あれから幾星霜──というほどでもないが。

 2024年の今、私はサンカクシャの一員として若者やスタッフたちと世間話をしつつ、ときどき趣味のコーヒーを淹れたりしながらダラダラと禄を食んでいる。まったくいい身分である。

 未知のウイルスによる禍(わざわい)は、ひとまずは去った。しかし若者たちは依然としてそれぞれがそれぞれの「禍」の中にあり、その緊急事態をサバイブしようと悩み、苦しみ、けれどもかけがえのない青春を生きている。

 かれらとともに過ごす日々の中、私はときどき、あの春の日を思い出す。彼女の言葉を、あの笑顔と晴れ姿を思い出す。

 いつかあんな風に笑える日が、若者たちにもくると良いなと思う。


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ライター

山口裕二

スタッフダイアリー

2024.07.29