スタッフダイアリー
2024.09.30
生まれたときは別々だが、死ぬときは別々だ
「こいつとは生まれたときは別々でも、死ぬときは別々っていう仲なんだ」
言ってることが当たり前すぎて、ぽかーんとしてしまう。そして可笑しい。
でも本当にその通りで、生まれるときも死ぬときも、ひとりなんだよと思う。
で、これから私はヒト1人を産もうとしているわけだけど、どんなに母としてウンウンしても、生まれるわが子はひとり堂々とこの世にお出ましになる。
だけど当然ひとりでは生きていけないので、赤ん坊は泣いて泣いて、家族や周りからのサポートを受けようとする。大きくなるにつれて、泣く以外の手段をとって要求し、変化する環境の中で、関わる人数も増えていく。ひとりが生まれてから死ぬまでに関わる人の数をあげていったら、とんでもない数になると思う。
いったい何歳まで、赤ん坊のように周りに助けを求めていいのだろう。
たとえば成人したら、就職したら、一人暮らししたら、親になったら?もう助けを求めたらいけないんだろうか。
もちろん私は「そんなこと無理!」と即答してしまうので、いくつになっても周りに泣きつくと思う。自分にできることなんて限りがあるので、周りに助けてもらわないと生きていけない。
サンカクシャのことをよく理解してくださるクエスト先の担当者から、「親だって、初めて親になるんだから」失敗もあるよ、と教えてもらったとき、少しだけ気持ちが軽くなった。親子がうまくいかない話を見聞きすると、若者の味方をしたい自分としては、なんとなく親のことを一緒になって不満に感じる部分があった。(だからといって許されることと許されないことはあるが)誰しもが赤ん坊と同じ権利を持っているなら、親にだってあったはずだと、そのとき初めて実感することができた。
大切なことは、ひとりで生まれて死んでいく事実を前にして、どうせひとりなんでしょと思うのではなく、その間にどうしようもなく人と出会うことなのかなと思う。だってひとりで生きていくのは難しいもの。
ただ時代が変われば関わり方も変わってしまうので、以前のように赤ん坊が泣いたら人が集まってくるみたいな、自然発生的な出会いは減っている。だからスマホで完結しない、自分から出向く努力も必要。情報過多で価値観も多様な社会で、なんとなく一緒にいるみたいなレベルの出会いをつくりにくいのもめっちゃ分かる。
そんなときにサンカクシャがいる、ってなればいいなーと思う。
サンカクシャにつながると、居場所や住まいを起点にして、外へ外へと、出会いの場へと後押しされる。関わる人数が増えることで、ヒントが見つかるかもしれないし、傷つくこともあるかもしれない。でもサンカクシャが後押しする場なら、悪いようにはならないんじゃないかなとも思う。
少なくとも、そういう場をスタッフは全力でつくっている。仮に傷ついたとしても、また居場所で休めばいい。
なんか説教くさいことを言っている気もするけど、私の信条は「人はひとりでは生きていけない」から、それならそれなりに考えをこねくり回した結果がこれ。
せっかくサンカクシャで出会えたんだから、若者・スタッフ・周りを支える人たちと一緒に、頼ったり頼られたりする未来を描きたい。
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ライター
宮本 緑
社会サンカク事業担当
スタッフダイアリー
2024.09.30